【塩田 儀夫(しおだ よしお)のプロフィール】
◎1950年横浜市金沢区出身。横浜市立金沢高校卒業
◎1969年東芝小向工場(現事務所、川崎市幸区)入社。2010年定年退社。2003年東芝賃金・資格昇格差別是正申立人となり2008年勝利和解。
生田小学校PTA会長。
◎現在、川崎医療生活協同組合理事。川崎文化会議幹事。「 6年生バンド」リーダー。
◎生田6丁目在住。 家族は義母・妻・一男。
【ごあいさつ】
東芝で42年間、働いてきました。「安心して働ける職場を」「労働者の権利が守られる職場を」のスロー ガンを掲げ、職場の仲間たちと一緒に会社に訴え続けてきました。今の職場はどこも私の働いていた頃より、もっとひどくなっています。労働者が報われないのでは、年金者も子どもさんも大切にされません。
労働者が定年まで安心して働くことができるように、皆さんの声を県政へ届けることが私の役目です。
今も
フォークソングに出合ったのは中学のころ。ピート・シガー、ボブ・ディラン…それは抵抗の歌であり、人生讃歌でした。僕もギターを手にしました。この時の共感が今の6年生バンドに流れています。原点
高校を出て、幸区の東芝小向工場に就職しました。26歳の時、労働者が作業中に屋上から落ち、死亡する事故がありました。この時、労災と認めようとしない会社に対し認定のため尽力したのが日本共産党員でした。労働者として人間として、そんな生き方がしたい。今に至る僕の原点です働く者の権利を守る活動に会社は差別で対しました。53歳の時に県労働委員会に「東芝賃金・資格昇格差別是正申し立て」を行い5年後に勝利します。42年間働き退職しましたが、働く者の権利を守る活動に終わりはありません。
子ども
息子が4歳になったころ、まわりの親たちと学童保育をつくる運動を始めました。署名を集めたり、議会に行ったり。息子の小学入学と同時に学童が開設されました。運動すれば道は開ける、これが大事です。生田学童クラブの会長もやらせてもらいました。子どもと一緒に親も成長するのです。息子が小学校6年生の時はPTA会長も経験。学校のイベントにPTAバンドを組んで出演、親同士の親睦を深めました。これが今の「6年生バンド」です。
福祉
医療は平等でなけれなりません。東芝退職後、川崎医療生活協同組合の理事になりました。医療費の3割負担が払えない人。特養ホームに入れず、〝老老介護〟を余儀なくされている人…医療・福祉の現場に接するほど、今の政治の貧困を感じます。この仕事はとても大事になりました。歌の力
♪9条は平和 9条は力 9条があると世界中つながるんだ…(6年生バンドのレパートリーより)「平和を守れ」「憲法を守れ」は僕の行動原点、毎月6日の登戸駅前「核兵器廃絶6の日行動」で歌い、各地で定期ライブも行なっています。こうした「歌で想いを伝えるちから」をなお一層拡げるため、川崎文化会議の幹事として活動をしています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多摩区から県政へ 願いたくせる
塩田よしおさんを応援します
藤井康雄(京浜協同劇団 菅在住)
私は永いこと働きながら演劇を創ることと関わってきましたが、塩田さんとは文化を通した古くからの友人です。シンガーソングライターとして、ギターを弾きながらの彼の歌声はいつも必死でした。職場での差別や世間の暮らし向き、格差や不正に真っ向から挑んでいるからだと思わされました。それは今でもゆるぎなく変わっていません。
表現とはより多くの人たちの幸せを願い、その思いを届けるための行為です。
彼の歌声を県会に響かせようではありませんか。
押野茂(元東芝労働者・川崎医療生協常務理事 中野島在住)
東芝・川崎の職場で、労働運動にたずさわる中で知り合った塩田さんです。いつも明るく元気に、職場で働く仲間の要求実現のために活動してきました。東芝の職場で進められた、賃金・資格差別是正のたたかいで、その先頭に立って頑張りぬいて、差別を是正させることができました。
地域ではPTAの活動にも参加し、会長の任務を果たしながら、大好きな音楽活動も続けました。PTAの皆さんと6年生バンドを結成し、現在も、明るく楽しく活動しています。今度は県政に私たちの声、市民の声が届くように、県政を変えるために心から期待します。
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